墨文字

碧〜きりひらく〜
「王」は、天と地の間に立つ偉大さを表しています。「白」は、清らかさ。「石」は、固い意志。
「碧」とは、どのような環境に置かれても、清い心と強い意志によって未来を切り拓き、導き、
成長していくことができるということです。

暁〜いざすすむ〜
太陽はすべての源。
私たちが進むべき道は、太陽が教えてくれています。
まあるく、明るく、豊かに、輝いて生きるということ―太陽の道です。
そろそろ長い暗い夜が終わりを告げます。
さあ歩き出すのは今です。山の頂から新しい世界を見渡すために。

茜〜ささえる〜
茜とは、赤い根から茜(赤根)と呼ばれ、 その根は止血薬としての働きもあると言われています。 普段、土に隠れていて見えない部分に 素晴らしい能力が秘められています。
「 」とは草。「強さ」を指します。 「西」とはざるの形を描いた字。 受け流すの意から「しなやかさ」を表します。 「茜」とは、自らの内に強さとしなやかさを潜め、 自らの力を周囲の人のために使うことが 出来るということでしょう。

明〜つき たいよう〜
太陽(日)と「つき」が入れかわり、 やがて、月と「たいよう」が入れかわる。 そうやっていつものように新しい朝がやってきます。
明るい日と書いて明日。
何か嫌なことがあっても必ず夜は明け、 明るい朝がやってきます。
苦しみや悲しみという闇もやがて陽が差し込み心の中を明るく照らしてくれます。
きっと心の夜明けがくるでしょう。

彰〜ことばのちから〜
「彰」は、「音」「十」「彡(模様)」から成り、美しい模様や飾り、世間に知らせるという意味があります。
「音」は人の声や周囲の情報。音色のように相手に伝える言葉のようなもの。
「十」は束ねるの意。情報を集積、整理できる取りまとめ役のようなもの。 「彰」とは、物事を理解するスピードが早く、意思伝達力に長けていることです。
言葉は盾にも矛にも成り得るもの。
ひと度、使い方を誤ると矛盾を生んでしまいます。
言は心をあらわし、心は人生をつくります。

晶〜ねがい〜
「星」は、日が生まれると書き、生は「みずみずしい芽」という意味。
やがて暗い夜も明けて、陽が射し込むという祈りが込められているのでしょう。
「晶」は、きらきらと光り輝く澄みきった星を表していて、心や体を清め、魂を純粋化して運を開いてくれるという意味があります。

哲〜さがしもの〜
「哲学」とは、人が人らしくより良く生きるための知恵を偉大な先人から学ぶことができるもの。そして、人生の探求です。
答えが出ない問題。
でも、すべてが答えとなります。
あなたの目は何を見ていますか?
あなたは何を考えていますか?

秋〜ありがたし〜
豊穣の秋といえば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を思い出します。
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になるということ。
つまり、当たり前と思える事にでも感謝の気持ちを表せることです。
そして、
「あ」は、新しい展開、希望といった意味を持つことだまで、人に何かを始めるきっかけを与える働きがあります。
「き」は、「木」「気」という意味を持ち、人の見本や癒しを与える働きがあります。
「あき」は、これまでの成果に感謝を捧げ、未来へつながる「夢の種」を手に入れることです。

彩〜かがやき〜
欠点のない人は存在しません。
「欠点」とは、あなたに「欠」かせない「点」と書きます。
不得意は人の得意を活かす才能。
誰もが持っている才(彩)能です。
それは人としての面白みや華やかさを付け加えてくれます。
人生に豊かな彩りを与えてくれるものです。

足〜つかむ〜
足を運ぶ。
足を延ばす。
足を踏み入れる。
足を向ける。
足を使うことで、出会いや発見、感動、気づき、 学び、成長、つながり・・・
そんな思いも寄らない機会を手にすることもあるでしょう。
チャンスをつかむには、まず、足をどう使いこなすかということが大切ですね。

遊〜なんくるないさ〜
のんびり過ごしていられることを「気楽」といいます。
喜ばれることをして楽しむことは「喜楽」。
自在に動き回るのは「自由」で、「自由」+「楽」は「自遊」になります。
魂が喜びにあふれる道を歩むことを 「遊」というのかもしれません。

新〜せいちょう〜
成長とは、新しい環境に移ることではなく、新しいものが見えはじめること。
「新」という字は、今までにない状況を生み出す力を持っています。
人生の目標は、成し遂げたものではなく、どのような人に成長していくか。

雨〜はじまり〜
「あ」は、天を表し、新しい展開、希望という 意味があります。 何かを思い出したとき、「あ!」と言うのは天の情報をキャッチしたサイン。
「め」は、芽を表し、小さな芽を大きな花にして 価値を発揮させる力を持っています。
「あめ」とは、希望を大きく成長させてくれるもの。つまり、すべてのはじまりということなんですね。

絢〜しんぷるに〜
「絢」とは、きらびやかで美しいことです。
「素(そ)を以(もっ)て絢(あや)を為(な)す」
という言葉があります。
考えすぎて余分な行動をとるより、素直にシンプルな思考のほうが、動きが流れるように滑らかで美しく、素晴らしいということ。
“Simple” is “best.”
大事なのは中から作る美しさです。

綾〜はなさくであい〜
綾とは、経(たて)糸と緯(よこ)糸の組み合わせで いろいろな模様を織り出した織物。
私たちも経のつながりと緯のつながりが 重なり合って様々な模様をつくり出します。
辿っていくと、そこにはたくさんの出会いが存在していて、その一本一本の糸(出会い)が 彩り鮮やかに美しく織り出されています。

杏〜おうえん〜
「杏」は、「口」から「木」が生えていて、口は言葉、木は成長を表しています。
言葉は、相手を成長させ実を与えてくれるものです。
「杏」とは、自ら発する言葉で相手の可能性を引き出し、成長を促して、人生に甘みを与えてくれるものなのでしょう。

言〜こころ〜
言葉というのは、体験があってはじめて出てくるもの。
伝えたいと思うことがあるから言葉になるのです。
心に湧き上がってくることが、言葉になっていきます。
知っていますか?
自分が何に心を動かされるのかを・・・

憩〜いのちのじゅうでん〜
「憩」とは、「息」+「舌」。
「息をする」という意味に、「活気」を表す「舌」。
立ち止まって一息ついて、「さあ、いこう!」という意味です。
憩いとは、からだや心の休息、そして、次に進むための準備の時間のことなのですね。

礎〜ちいさなことを〜
基礎とは土台のこと。
「基」は「はじまり」で地道な力を注ぐことで「礎」が現れ「基礎」となります。
当たり前のことを当たり前と思えないほどの情熱を傾けて行うことが大事。
大きなことを成し遂げるには今できる小さな事から。

泉〜わくわく〜
泉は、地中から水が湧き出るところ。
物事が出てくるところ。 源という意味です。
「あ〜幸せ〜」って感じる瞬間・・・・・・
涙がでるくらい笑ったり、
心が震えるほど感動したり、
楽しすぎて本気で「時間よ止まれ!」と
手を合わせて祈った経験ってありませんか?
経験は幸せの源泉。
次から次へと想いが湧き溢れてきます。
その想いが人生の舵です。
「もちろん、船長はあなた!」
舵をしっかり握ってくださいね。

挑〜こうきしん〜
「挑」は、「手」と「兆(きざし・前触れ・希望)」 ――努力して希望をつかむこと。
人生というのは楽しんでいるか、学んでいるか、このどちらかです。
現状維持に興味はない!
今より、もっともっと面白いこと、もっともっと楽しいことを・・・・・。
お金?地位?名声?それは二の次。
だって楽しいことが一番の収穫だから。
好奇心はボーダーレス!

糸〜えがお〜
人間には、伝染しやすいものが三つあります。
それは、あくび・不機嫌・笑顔だそうです。
「い」は、命・生きがいを表し、
「と」は、エネルギーを人に与える働きがあります。
「いと」は、生きがいを与えてくれるものとのつながり。
手繰りよせた糸の先・・・・・
笑顔が見えていますか?

祈〜めぐみ〜
「祈り」とは、本来神の「意」に「宣」と書きます。
神の意を祝福することです。
つまり、「あなたの望むように生きていきます」
そして、「願い」とは、「ねぎらい」。
ねぎらいとは 「いつもありがとうございます」とお礼を言うことです。
祈り、願うとは、すべてを受け入れて感謝をする心のこと。

樹〜すべてをうけいれる〜
木はそこから一歩も動くことができません。
燦々と照り輝く太陽の光と天から舞い降りる雨を浴びて育ちます。
大地には深くしっかり根をはり恵(巡)らせています。
木は自分に降りそそがれる陽射しや雨、風などを自分の成長に変えて、枝はぐんぐん空に向かって伸びていき、やがて立派な樹木に育ちます。
人にも似ているのではないでしょうか。
人が成長するということも、どこか違う場所に移動することではありません。
まったく同じ場所で、違うものが見えはじめることなんです。自分も他人も受け入れることから。

歌〜こころつなぐ〜
歌はもともとは神様に訴える声、祈る声のことだそうです。
「歌う」とは、感情を表現すること。
つまり、相手の魂に激しく強い揺さぶりを与えること。
「う」は、海を表し、
浄化や良いものを引き出す働きがあり、
「た」は、田や土を表し、
人に恵みを与える働きがあります。
「うた」とは、
すべてを受け入れた上で必要でないものは浄化
そして、本来の自然な姿へ引き出してくれるものなのかもしれません。

宇宙〜うきうき〜
この世は未知なる世界。
人類が好奇心を抱いてワクワクドキドキしながら世界をきり拓いてきたからこそ存在する現在。
私たちは知らないことや変化することに足踏みをしがちです。
未知は「未だに知られてない」ということ。
楽しいことを発見するためには一歩を踏み出すだけでいい…..コツコツ…
「無限の宇宙へようこそ!」

美〜すなお〜
「美」とは、
人の心の中で生まれたり、消えたりし、心の余裕によって生じるものです。
そして「素直」とは、
強い精神力をもち、自分の考えに自信をもっていること。
内から放つ素直さは、
心に余裕を与え、凛々しく映し出してくれるものなのです。

誕〜いきるちから〜
「誕」は、事実を大げさに伸ばして伝える、「嘘をつく」という意味があります。
「誕生」とは、嘘を生むこと。
我欲や虚栄心によってつく嘘は悪いものとされます。
しかし、人を救うための嘘、人を傷つけないためにつく嘘、人を喜ばせるための嘘もあります。
「誕」とは、大切なものを守ろうという本能の力。
そして、誕生日は生きる力を授けてくれた両親に感謝を捧げる日です。

馬〜ゆめおい〜
馬は人との付き合いが古い動物で、物事が”うま”くいく、幸運が駆け込んでくるなどと言われ縁起のいい動物です。
夢の実現、目標達成に向け、地に足つけて颯爽と翔けていきましょう。

海〜きらくにいこう〜
広くて深い海は
いつも同じ場所で待っていてくれる。
あの時、強く背中を押してくれた海は、
今はそっと寄り添い肩を組んで優しさを与えてくれる。
自分を信じて、強い気持ちで進んでいけば、
たいていのことはなんとかなるもの。
でも、時には力を抜くことで
心の幅も広くなるし、奥行も深くなる。
”肩の力を抜いて気楽に行けばいいんじゃない”
久しぶりに来た海が
そう語りかけているようだった。

麗〜かがやくみらい〜
「麗しい」とは、精神的に豊かで気高く、心優しく美しいことです。
麗らかな人生というのは、いつも穏やかで晴々とした気持ちで生きていけること。
美しいものを「美しい」と素直に感じることができる麗しい心が麗らかな未来へと導いてくれます。

運〜こころがまえ〜
人生というのは、予期しない偶然や出会いの積み重ねで決まっていくものです。
よって、予期せぬ出来事をいかに自分にとってチャンスにするかが大事。
偶然を運命にかえて成功する人と、偶然がただの偶然で通り過ぎてしまう人の違いは、その人の心構えしだいです。
面白いと思ったこと、やりたいと思ったこと、今ひらめいたことに対して躊躇せずに“やってみる”姿勢と興味を持つ探究心が重要です。
好奇心無きところには、変化も進歩も成功も無いということです。

枝〜かのうせい〜
木は「成長」。
枝は成長(木)を「支」えることであり、発展や繁殖を表します。
強みを見つけ、時には的確な助けを行い、サポート力に優れていることです。
人生は枝分かれ。
そして、なるようにしかなりません。
分岐点が多いということは、それだけ磨きあげられていくということ。一つ一つの分岐点は、言わば、可能性みたいなものだということです。

起〜やるしかない〜
勢いは流れを変える力です。
長い助走をとらなければ勢いはつきません。
何度転んでも、その経験は必ず活かされます。
それまではただやるしかない。
やってダメならもっとやる。
数はいつか質に変わります。

理〜ささえあい〜
理事の「理」は根本の道理、「事」は表の現象。
草木で言うと、理が根っこで、事が幹や枝葉。
事は理にくらべ直接的で身近であり、現実の生活に結びついているので、理を忘れて事に走りがちになってしまいます。
物事をみるとき、変わらないものと変わるものとの二つの視点を持つことが大切なことです。

雄〜えんのした〜
「雄大」は、大きく堂々としていることであり、小さなことを大切にしてきた結果。
「英雄」は、偉業を成し遂げた人であり、陰で努力を続けてきた結果。
人知れず、陰で一生懸命努力する人、思わぬところで人を支えている人を「縁の下の力持ち」といい、そこに勇ましく力強い「雄」が存在しています。

音〜たんじょう〜
朝の音連れ(訪れ)。
朝が来る度、人は生まれ変わっています。
今日のあなたは人生の中でいちばん天辺に位置します。
一昨日よりも、昨日よりも、今日がより成長しています。
自分をどうしようもないと思う必要はありません。
十人十色(音色)。
あなたの奏でる音は優れた個性です。

泳〜じぶん〜
人生とは大海原を帆船で航海しているようなもの。もちろん船長はあなた。
海原は穏やかな時もあれば、時化て荒れている時もあります。
舵をしっかり握っていても、海原へ投げ出されてしまうことだってあります。
その時は自分だけの力で帆船へ戻るか、近くの岸まで泳がなくてはなりません。
そのためには、まず落ち着いて!
そして、自分を信じて前に進むだけです。

楓〜まほうのて〜
葉の形がカエルの手に似ていることから蛙手 – 楓
手の吸盤のおかげで枝から枝へ飛び移ったり、垂直な場所に張り付いていられます。
状況の把握・判断に長け、逆境に強いということ。
いざとなったら、木の葉のように風に任せてゆらゆらと旅にでるのもひとつの手。

帰〜みちはできる〜
「リ」は、道。
「帚」は、ほうき。
いつも歩く道を掃除して戻ることから「帰る(かえる)」という意味を表します。
行きと帰りの道が異なっても、戻る場所。
つまり、はじめ(一)とおわり(了)は一緒(子)の場所。
「子」には無事に帰って来ますようにという願いが込められているのでしょう。
帰一(きいつ)とは、異なった事柄が結果的にうまく一つにまとまることです。身のまわりに存在するあらゆるものが一つにつながり、関わり合って存在しているものです。

香〜おもいで〜
「あっ!懐かしい匂い・・・」
忘れていたはずの記憶がその瞬間よみがえる。
そんな経験は、誰もがしたことがあるのではないでしょうか。
「時」と「香」。
時と香りは目に見えないもので感じるもの。
それは一瞬のものであり、それに慣れてしまうと、その存在すら忘れてしまいます。 意識をして初めて存在するデリケートなものです。
時は出来事を記録し続け、香りはその記録に感情を結びつけて、思い出としてよみがえらせてくれる大切なものです。

輝〜いのちをもやして〜
「主」という字の「、」はロウソクの炎。
「王」は台のこと。
自分のいる環境を照らして生きる人のことを、主という。
命の炎を燃やして生きるとは、自分が自分の人生の主人公となって生きることである。

風〜ゆめにむかって〜
目標や夢を成し遂げる過程には向かい風や追い風があらわれるが、どちらも自分を成長させるには必要なもの。
いちばん大切なことは、夢を抱いた「きっかけ」という風。
その風をしっかり背中の帆で受け止め、前に進む勇気を持つこと。

風〜ゆめにむかって〜
目標や夢を成し遂げる過程には向かい風や追い風があらわれるが、どちらも自分を成長させるには必要なもの。
いちばん大切なことは、夢を抱いた「きっかけ」という風。
その風をしっかり背中の帆で受け止め、前に進む勇気を持つこと。

家族〜いちゃりばちょーで〜
行逢りば兄弟(いちゃりばちょーでー)とは、一度逢ったら皆兄弟という意味。
出会いはかけがえのない財産です。
何となく人と接するのではなく、今巡り合わせてくれているご縁を大切にすること。
一度会ったら皆家族。
こういう気持ちがあれば、みんなに優しくできますよね。

勝〜いきることのかち〜
この世に生を受けた私たちはみんな、数億分の一の競争を勝ち抜いて生まれてきました。
かと言って、ただ強いからというだけではなく、ゴールに辿り着けるようにサポートしてくれた者もいたはずです。
生まれて来る前に、「お前なら」と認められ、サポートされて勝ち進んで来たのでしょう。
誕生したことがもうすでに奇跡です。
そして、自信を持って生きていけばいいということです。
今、生きていることに最大の価値があります。

唱〜いのち〜
「昌」は、「光を放つ日」の象形から、
「盛ん」「すばらしい」という意味。
「唱」は、「すばらしく盛んな声」を表しています。
私たちは、光の合図と共に「オギャー」と産声をあげます。
「生きる」ということに、いちばん純粋で、いちばん強い声です。
すべてはこの声からはじまります。

叶〜いのり〜
発する言葉はとても大切です。
プラスの言葉、マイナスの言葉、両方を口にすると「吐」になります。
マイナスの言葉をできるだけプラスの言葉に置き換えていくと、「叶」になります。
人は楽しい場所、楽しい人のところに引き寄せられます。
ご存知ですか?
願いや祈りは、まわりにいる人たちによって叶えられていくんです。

奏〜こころのことば〜
人を笑顔にさせる言葉や喜びを与える言葉は心を豊かにさせ、 優しい言葉は心に潤いを与えてくれます。
癒す言葉は人を優しい心へと導き、人と人をつなぎます。
心のコミュニケーション。
心のコトバは自分の本当の気持ちです。
あなたが奏でるコトバは世界を変えることができます。

要〜あるく〜
大切なコト、大切な部分を「要」といいます。
毎日を慌ただしく走り抜けていると大切なコトを見失いがちになります。
時には立ち止まったり、歩みをゆるやかにしてみては…。
大切なものは思いのほか目の前に転がっているものです。

雷〜ひかるいのち〜
「神鳴り」、つまり天の神が鳴らす音が語源です。
雷のことを「稲妻」とも呼びます。
「妻」は、「かたわら、横にあるもの」という意味
で、稲妻は「稲とともに横にあるもの」という意味になり、雷の多かった年はお米が豊作だとも言われています。
神鳴りによって恩恵を受け、自然と共存してきた人々は、「込める」が語源の「米」に力を込め、命を込め、祈りを込めてきました。

神〜いきるちから〜
神様から与えられた命。
何のために与えられたのでしょう?
面白いときに笑うためです。
悲しいときに泣くためです。
嬉しいときに喜ぶためです。
嫌なときに怒るためです。
人生は楽しんでいるか、学んでいるかのどちらか。
生きている、存在していることが最大の価値なんです。

亀〜かこからみらい〜
浦島太郎の話では龍宮城の使いとされていますが、古い中国では仙人が住む不老長寿の地として信じられた逢莱山(ほうらいさん)の使いとされ、大変めでたい動物とされていたようです。
日本においても「亀は万年」と言われて、鶴とともに「長寿を象徴する吉祥の動物」とされ、めでたい生き物として尊ばれています。
ゆっくりとのんびりとした歩みは、実直さや勤勉さが如何に大切なことであるかを教えてくれています。
急がば回れ。
余計なことを考えてる時間があれば、ゆっくりでも動き続けることですね。

考〜すなお〜
「自分に何ができるか」というよりも、「何がしたいのか」と考えて、やりたいことに挑戦するからこそ、今の自分があります。
自分に素直になることが大切。
信じる通りになるのが人生というものです。
素直であることは一番素晴らしい能力です。

感謝〜すべてのであいといのちのすばらしさ〜
「命」を「運ぶ」と書いて「運命」。
思ったとおりに事が運んだのがそもそもの不幸のはじまりだったということもあれば、起こってほしくないと思っていたことが、実は自分の人生にとって 一番必要な経験だったということもあります。
そう考えると経験というのはすべてが財産だということです。
出会いによって積みかさねられた経験に感謝をして生きていく。それが「命を運ぶ」ということなのかもしれません。

純〜いつまでも〜
人柄や気持ちが素直で美しいことを「純」と言います。
糸は「つながり」、屯(たむろ)は「仲間が集まるところ」という意味があるように、「純」な人のまわりは気が清く高く、大勢の仲間が引き寄せられてくるものです。
しかし、謙虚な気持ちを忘れた瞬間、「純」はあなたの元を去っていきます。
記憶は単なる記録ではなく、ときに気力(気持ちの張り)を取り戻す役目があります。
思い出してみてください・・・・・
最初に思い立った純真な気持ちは新鮮で謙虚なものだったはず。

利〜みのり〜
「禾(いね)」とは、成長、実り。
「刂」は、刀を表し、物事を綺麗に解決する力、物に生命を吹き込むことができる創造力を指します。
「利」とは、自らの成長による実りで周りを助け、鍛えられた創造力によって人の隠れた才能を引き出すことです。
「いね」は成長させるために手入れが必要です。
「刀」は錆びないように手入れが必要です。
自己研鑽こそ、能力を飛躍させる第一歩です。

絆〜どぅしぐわぁ〜
「どぅしぐわぁ」とは、
沖縄の方言で「心を通わせてる仲間」という意味です。
楽しいときは笑って、悲しいときは泣いて、
嬉しいときは喜んで、つらいときは苦しんで。
怒って、悩んで、落ち込んで、感動して、
そして、また笑って。
そうやって苦楽を分かち分け合い、
絆というのは築かれていくんですね。
絆は、心のつながりが深い仲の間をつないでいる糸のような存在です。

希望〜みちはつくられる〜
「ああなりたい!」と心を鷲掴みされた瞬間・・・
心の中に希望という光が宿ります。
大きなものを掴みとるためには、今まで掴んでいたものを見直す必要があります。
常識・固定観念・思い込みを外せば、あなたの見える現実が変わります。
希望の光は、夢を掴むため、チャンスを掴むための道しるべにすぎません。
ゆっくりでもいい。
小さくてもいい。
一歩一歩・・・・・・・ それが道となります。

清〜おまかせ〜
心が清ければ行為に表れます。
しかし、行為が清いからと言って心が清いとは限りません。神様は心をご覧になります。善でも悪でも分け隔てなく受け入れる度量の大きい寛容な心が大切。
「清い」とは、神様にすべてお任せをして、あらゆることに感謝を捧げ、「清濁(せいだく)併せ呑む」ことなのでしょう。

究〜たのしむ〜
学問を知っている人は、学問を愛する人に及ばない。
学問を愛する人は、学問を楽しむ人に及ばない。
どんなことも楽しむこと、楽しめること、楽しもうとすることが大切。
「楽しんでいたら究めていた」。
楽しむ達人は、人生の達人です。

極〜いきるしせい〜
“一芸は道に通ずる”という言葉があります。
「一つのことを知りつくし、極めた人は、他のどんな分野においてもよい方法を見いだして、上手にやっていける」という意味です。
「広く浅く」より「狭く深く」を追求することで「広く深く」につながります。
一番好きなことを突き詰めることが大切。
そして、他人の評価で生きるのではなく、自分の評価で生きる。
そうすると、自分がよく見えてきます。

氣〜たましい〜
この「氣」という漢字の由来は、下の「米」は人間を意味します。
人が光を八方に放っている姿。そして、その上は、宇宙や空、天から、光のエネルギーが 降り注いでいる様を意味します。
「氣」とは、宇宙から降り注ぐ光のエネルギーの中で、その恩恵を受けながら光を放つ人間(魂)、そのもの。

国〜ほこり〜
自分を誇ることは親を誇ること。
親を誇ることは先祖を誇ること。
先祖を誇ることは国を誇ることです。
自分の国のことをどれだけ知っていますか?
では、他の国のことをどれだけ知ろうとしていますか?
イメージってどうやって創られていくのかなぁ・・・
イメージではなく、心で世界を見ませんか。

蔵〜いきるちえ〜
「蔵」とは、大切なものを草むらに隠し、上から草を覆って見張っている様子から、蓄えるという意味があります。
職人の高い技術が生んだ蔵によって、長期間、食糧の確保や保存、農作物の貯蔵や格納が可能になりました。
日本の長い歴史の中で培われた蔵造りの技術と各地の風土が育てあげたものが蔵なのです。

蹴〜せかいをつかむ〜
コツコツと地道に前に進むこと。
その継続の力こそ一流への一歩。
「満足」とは、コツコツコツコツ…と大地を蹴って 進んでいく足音で満たされたときに与えられるものです。
今日の一歩が未来を変えます。

声〜ちから〜
「こ」は、形にする働きがあり、ものが豊かになるために必要なことだま。
「え」は、枝わかれをしながらだんだんと広がっていくことから、発展・成長・繁殖を表します。
大切に思う人にどんな言葉をかけていますか?
あなたの「こえ」は、その人を成長させ、豊かにするチカラを秘めています。

呼吸〜いまここから〜
私たちは皆、「おぎゃあ!」
力いっぱい産声を挙げた瞬間、初めて自己呼吸という冒険と自立への 旅立ちをします。
人生のスタートは思いきり息を呼き出してから。
呼くのは人の気、吸うのは天の気!
ガンバって呼きだすことができたら、あとはごく自然に外気が入りこんできます。
道(人生)に迷ったときは、初心にかえることも重要です。
まず深呼吸を!

志〜さむらい〜
武士の心と書いて『志』。
武士の心とは、自分の目の前にあるどのような些細な出来事にも、ひとつひとつ真摯に向き合って取り組んでいく姿勢です。
『武士道』は、己の心身を強化し、調和をはかり、 そして弱いものを守るための修行であり、信念(志)なのです。
“Bushido, the Soul of Japan”
つまり『武士道―日本の魂』。

心〜いきる〜
生きるとは、息ること。
「息」をし続けるということです。
「自」分を支えているのは「心」と書いて「息」。
心の状態しだいで、「自」のバランスが決まってきます。心は広くて、大きくて、やわらかい方が「自」の安定感が良くなります。
では、心にどんなことを入れるといいのでしょうか?
感性というアンテナを信じて、素直に受け入れる気持ちが大切なのだと思います。

心〜じんせい〜
ふだんからどこに意識を集中させているかが大事なことで、日常的に考えていることが自分の人生をつくっていくもの。
心が人生を表していて、心に何が入っているかで人生は変わってくるものだと思います。
性格とは、心の習慣。

寿〜きもち〜
ことほきが変化した語。
「こと」は言葉、「ほき」は祝く(ほく)。
言葉によって幸福を招き入れる祈りを意味してます。
祈りには幸せへの気持ちがいっぱい込められています。
言葉には現実を操る力があることをご存知ですか?

米〜げんき〜
「米」の語源は「込める」だそうで、力を込める、命を込める、と日本人はお米に祈りを込めてきたのです。
元気の「氣」。
氣のエネルギーの中心は「米」。
お米は祈りであり、光です。
そして、日本人の心の光が宿っています。

五輪~せかいはつながっている~ ~えがおがつなぐへいわ~ ~みらいをつくるえがお~ ~けいぞくはちからなり~ ~ちきゅうはいきている~
【オリンピック・シンボルの 5 つの輪は世界の大陸を表し、 アジア、ヨーロッパ、アフリカ、南北アメリカ、オーストラリアの 5 大陸の団結は、世界中の国々が仲良くなることを象徴しています。 肌の色や話す言葉、住んでいる国の違いに関係なく友好を深め、 一人ひとりを大切にする平和な社会を築いていこうという考えです。】
スポーツは心と体を磨き成長させて、人生に光を与えてくれるもの。その光は人を照らして、豊かな社会・平和な世界をつくっていきます。
光を放って光を浴びて、やがて笑顔の花が咲く。笑顔が地球を守る唯一の手段ではないでしょうか?
そして、笑うことができるのは、私たち人間だけなのです。

再会〜えがおなみだ〜
この世界のただ一つの真実、「生まれたら死ぬ」。
あなたが泣きながら生まれたとき、まわりは喜び笑顔で迎えてくれます。
あなたが微笑んで旅立つとき、まわりは別れを惜しみ泣いて見送るでしょう。
人生は、出会いと別れ。
命は生まれ変わり、魂は再会を繰り返します。
私たちは何のために生まれてきたのだろう?
魂は何を望んでいるのだろう?
今を楽しんでいますか?
「楽しい」とは、「魂が喜びに溢れる」という意味であることをご存じですか。

桜〜かけはし〜
少しづつだけど確かに歩んで来た道。
苦しいときも、楽しいときも、いつも笑顔の花がそこにあった。
たくさんの支えのおかげで辿り着いた今。
この道の先にどんな試練が待ち構えているのかは分からない。
でも、大丈夫。
心に咲いた花は決して枯れることはないから。

咲〜まっすぐ〜
今やれることをただ淡々とやるだけ。
今、自分が置かれた場所があなたの居場所です。
前に進めないときは、下へ下へと根を伸ばす時。
根っこの深さは心の深さです。
やがて美しく、大きな花(笑顔)を咲かせる日が訪れます。

聡〜ぽじてぃぶ〜
「聡」は耳がよく聞こえること、
「明」は目がよく見えることから、
物事の理解が早く賢いことを聡明といいます。
一を聞いて、十を知る。
物事を否定的に捉えず、肯定的に捉えることが大切です。
ネガティブには鈍感に、ポジティブには敏感に。

智〜ほめる〜
「意」とは、神様の意志。
他を慈しみ、自らを高め向上し続けること。
「智」とは、真の知恵。
どう進化をしていくかを理解、判断する力。
神様から与えられた素晴らしいプレゼント・・・
それは「意の智(いのち)」です。
いのちの価値を知ることは、自らの価値を知ること。まわりを、自分を、そして、現実をじっくり見つめてみてください。

遥〜おもいこえて〜
遠くの景色(目標)は、はっきり見えるときと、靄(もや:問題)でぼやけてしまうときがあります。
問題とは至る所に存在していて、起きたことは問題ではありません。
本当の問題は、起きたときに「どう行動したか!」 「どう捉えたか!」です。
靄(もや)は、今の自分に足りないことを教えてくれる味方のような存在。
あなたの目指す場所は、和気靄々(あいあい)- 和やかで楽しい気で満ちあふれています。

凜〜こころしなやか〜
人間関係に悩み、葛藤するなかから本当の優しさは生まれるもの。
人は悩むほどに自分らしくなります。
竹のようにまっすぐ凜と立ち、風が吹けば柔らかくしなる。
どんなことにも動じない、しっとりと落ち着いていられる心を育てましょう。

侍〜でんとう〜
日本の侍(武士)は、「武士道」と呼ばれる独自の「理念」「思想」を持っていました。
公(正義)のためなら、私利私欲を排し、わが身も顧みず強靭な精神力で敢然と戦うというものでした。
刀を持たない武士は武士とはいえず、刀のすべては、武士の魂そのものです。
名職人たちが全魂をかたむけ、持てる英知と技術のすべてを注いで鍛え込んだ刀。
武士や職人のように営々と祖先が築いた佳き伝統や文化を大切に守り、民族の魂を伝えようとするサムライの精神は日本人の象徴ともいえるものです。

猿〜こうきしん〜
猿は、山の賢者で、山神の使いと信じられていました。
積極的で好奇心を象徴とし、どんなことも臨機応変に器用に取り組むことができます。
他人に指図されることを嫌う一方で、相手の気持ちを読み取る能力に優れているので、出世も早く、友人にも恵まれています。

栞〜いきるしるし〜
「栞(しおり)」は、「幵」+「木」。
「幵」は高さをそろえるという意味で、道しるべの木を表しています。
「枝折る(しおる)」とは、山道などを歩く際、迷わないように木の枝を折って道しるべとすることです。
私たちにとって楽しかったことや感動したこと。
つらかったことや悲しいことは 人生を豊かにしていくために必要な経験です。
そのひとつひとつが生きる目印となります

時間〜いきるみちのり〜
知っている世界と知らない世界。
経験したことと未経験のこと。
どっちが多い?
可能性って、後ろにあるのかなぁ?
多分だけど、前とか上のほうに広がっているんだと思うなぁ。
知らない世界、経験していないことにヒヤヒヤしますか?ワクワクしますか?
物事をポジティブに捉えるのか、ネガティブに捉えるのかによって見つかる可能性も変わります。
経験は、前に進むために、どこへ向かうために、未来のために使うものです。
川の流れのように、時も流れていきます。
同じ流れは二度と経験できません。
流れに身をまかせて人生を謳歌してみませんか。

自信〜あきらめない〜
成功とは正しい判断の結果。
正しい判断とは経験の結果。
そして経験とは多くの場合、間違った判断の結果です。
失敗をおそれず、あきらめないことが自分にしか出来ないことをつくる。

静〜こころをみつめる〜
静と動のバランスはとれていますか?
行動をすることはとても大事なことです。そして、行動したあとはゆっくりと静の状態をつくる。
落ち着いて自分と対話をすると、今の心の状態や体の状態が分かります。静を適度に取り入れることで、動が伸びていきます。
静と動のバランスが良くなると心に穏やかさが生まれます。

順〜よりそう〜
穏やかで素直なことを「温順」と言います。
「温順」とは、「善で美しい心」。
「ああでもいい、こうでもいい」が、そのうちでも 神さまが喜ばれるほうを選べる心のことです。
相手と同じ方向を向いて、一緒に歩んでいくということです。

地道〜まんかいのはなひらく〜
ゴールはすでにイメージできている。
仮に楽をして掴んだとしても、その重みに耐え切れずに倒れてしまうだろう。
重要なのは、ゴールまでの歩き方。
疲れたら休めばイイし、転んだら起こしてもらえばイイ。
ただ、自分の考えで、自分の足でしっかり進んでほしい。

自由〜じぶんらしさ〜
好き勝手に何でも自分の思いのままにすることではなく、本当の自由は正しい秩序と規則の中で、自分流の生き方、物の考え方、感じ方をすること。
そして、人は悩むほどに自分らしくなる。

瑞〜つつみこむみらい〜
「瑞」は、みずみずしく美しいという意味。
「王」とは、カリスマの象徴であり、先導者を指します。
「山」とは、生命誕生の場であり、生命の拠り所であり、存在感の大きさを表します。
「而 (しかしの意味)」とは、前後の語句を繋げる役割をもち、前の言葉を逆転させる力をもっています。
「瑞」とは、周囲を惹きこむ魅力と人を守る力を持ち、人の不安や不幸を好転させる役割があります。
自らの経験から人の辛さを理解し、その中から前に向けるようなアドバイスができるということです。

信〜ゆめのたね〜
自信とは?
自分のことを人に言えること。
自分の想いを発信すること。
そして、自分を信じること。
夢を持った瞬間、どんなにツライ経験も必要な過去だったんだと気がつきます。
あなたは信じますか?
夢は叶うということを・・・。

駿〜ときがみかたする〜
「駿」は「優れた馬」を表し、積極的で行動力があり、賢いというイメージが広がります。
「夋」は「允」と「夊(おそい、足をひきずる)」からなり、「允」という字には、調和がとれて誠実、穏やかという資質が含まれています。
「駿」という字には、ゆっくりと行動することで調和をとる力に長け、その一つの行動の中に人を思い、人を慈しむ優しさがあります。

健〜こころおだやか〜
「健」は、人の心身を整えるという意味です。
カラダに元気が溢れているとココロは穏やかになります。
人と競わず、人と争わず、人と比べず、人と共存しながら生きていく。
これが本来の人間の生き方なのかもしれません。

涼〜かがやき〜
京とは、神聖なる都を表し、綺麗で豊かなことから麗都(れいと)と言われています。
「シ(サンズイ:三水)」は、「水」を表し、体や心を清め輝きを与える働きがあります。
「涼」とは、身を清め、心を豊かにしてくれることです。
生きていれば、うまくいかないときだってあるもの。
溜まったツカレや滞った気を外に出して、心の中に涼しい風を取り込んでみてください。

育〜ちから〜
「育」とは、うみだすこと、成長すること。
私たちは、何がうみだせるのか?
私たちは、何をうみだしたいのか?
怒り?喜び?愚痴?笑顔?悲しみ?楽しみ?妬み?幸せ?文句?愛?
私たちは喜びを感じるために「いまここ」にいます。
人の役に立てること、必要とされること、愛されること。
豊かな心を育てるのは、「感じる」という力です。
まずは自分の感じるままに・・・
他人の評価で生きるのではなく、自分の評価で生きること。

太陽〜きせきのはじまり〜
これ以上、近くても遠くてもダメ。
この絶妙な距離のおかげで太陽の恩恵に与(あずか)ることができています。
私たちにも同じことが言えるのではないでしょうか。
家族であっても、仲間であっても距離感が大切です。
太陽と地球の最適な距離のおかげで生命が誕生できたのですね。

凧〜みらい〜
凧は、想い。
風の流れに乗って、天高く翔んでいきます。
糸は、心の状態。
緩みやたるみがあると凧は不安定になってしまいます。かと言って、ピンと張り詰めすぎると糸は切れて凧を見失ってしまうでしょう。
凧揚げのおもしろさは、 一本の糸を絆にして凧と対話することにあります。糸のたぐり加減に凧は微妙に反応し、心が通じたとき凧は生き物のように空を舞います。

尋〜ひきだす〜
「尋」は、左と右と寸(手)を組み合わせた字。
右手と左手を広げた長さを一尋(ひとひろ)といい、長さをはかることから、「わからないことをさぐる」という意味を表します。
「ヨ」は、手を組み合わせ力を合わせること。
「工」は、二枚の板に穴をあけ、そこに棒を通した ようすを示した字で細工をするという意味。
「口」は、言葉。
「寸」は、少し・わずか。
「尋ねる」という行為は、わからないことなどを素直に聴く姿勢から「謙虚さ」を表します。
謙虚な姿勢を軸とし、言葉にわずかな工夫を加えて相手が持つ本来の力を引き出す。大きく物事を変化させるのではなく、小さなところに気を向けることができるということです。

正〜いろいろ〜
物事には正解も不正解もなくて、望んでいるものと、望まないものがあるだけです。
自分が今している選択って本当にこれで良いのだろうか?
世の中には色々な人がいて、それぞれに想いがあるように、”正しさ”も一つではなく、色々な視点からの「正しさ」があります。
自分にとっての答えは自分の中にしかありませんが、色々な人の思いを感じられることで、人間は生きている価値が生まれてくるものなのです。

直〜げんじつ〜
「直」とは、まっすぐ(十)、前を見据え(目)、 しっかり(L)と目標に向かうこと。
自分がどこへ行くかを知るためには、自分が今いるところを知らなければなりません。
物事が存在している「現(うつつ)」は、「玉の光が目に映る」という意味もあるようです。
実りの種は、今、気づいたことのなかに潜んでいるのかもしれません。

達〜あゆみのきせき〜
あの日、あの時、あの場所で・・・
「その人と出会えたおかげで今の自分がある」
たった一つでも別の選択をしていたら、まったく別の人生を歩んでいたかもしれない。
何をみて、何を聞き、何を感じ、何を考え、どう動くのか。
瞬間的な選択のつながりが歩んだ軌跡となります。
人生はまるで迷路のように見えるけど、ミラクルで溢れているのも人生です。

種〜つながるちから〜
一粒の種蒔き。
無関心という種からは、退屈という芽が出て、夢という種からは、希望という芽が出ます。
退屈の芽は、花を咲かせても実をつけることなく一生を終えます。
希望の芽は、キレイな花を咲かせ見事な実をつけた後、種を残します。
夢の種は、世界中に広がって希望を実らせます。

楽〜しぜんたい〜
自然体というのは、「気」持ちを「楽」にすること。
つまり、力を抜いてリラックスをしている状態です。気楽といっても自分勝手とかわがまま、何もしないということではありません。
自然――樹木や花だってその時期が来たら葉っぱも茂るし花も咲かせます。自然のなかにも期限というものが存在していて、その中で自分らしく楽しく生きていくことが、自然体ということなのでしょう。

楽〜どらえもん〜
あんなこと、こんなこと。
あんな夢、こんな夢。
みんな叶えてくれるドラえもん。
どんなことでも、どんなときでも、
目の前にあるものを楽しもう!
そういう前向きな気持ち、
そんな心にドラえもんが存在します。
「ど」んなことが起きても「ラ」ッキーと言えたら、自然と「え」顔がこぼれます。今まで「もん」題だと感じていたことが、実は自分の成長の種だったんだということに気づけるでしょう。

楽〜ぬちぐすい〜
「ぬちぐすい」とは、命の薬。
母親の愛情であったり、美味しい料理、人の優しさなど・・・。
心の中が暖かくなって癒されるような出来事をさす言葉です。
「楽しい」という言葉は、「魂が喜びにあふれる」という意味。
楽しむことは命に栄養を与えてくれます。

食〜いのちのもと〜
食べることは生きる楽しみであり、心や体の基礎になります。
何を食べるか、どこで食べるか、誰と食べるか。
食を通して人とのつながりを大切にして、
大地の恵みにいつも感謝していただきましょう。

環〜つながるみらい〜
笑顔を投げかけたら、やがて笑顔の人達に包まれます。
不機嫌を投げかけたら、やがて不機嫌な人達に囲まれます。
自分が投げかけたことが巡り巡って自分に戻ってくるのが人生です。
今と未来はリング(環)状のよう。
今、目の前にある環境は、過去にあなたが投げかけたものです。

魂〜いきとしいけるものへ〜
動物や植物、昆虫に命があるように、私たちの周りにあるモノや空に浮かぶ雲にも魂があります。
この世に存在するものにはすべて命が宿っています。命に姿かたちは関係ありません。
いのちあるものすべてが平安で幸に恵まれるように願いを込め、すべてを丁寧に扱っていくことを積み重ねて生きて行きたいですね。
この世は魂にとって「修業の場」と言われていますが、どれだけ「楽しめるか」という場でもあるように感じます。

球〜きぼう〜
当たり前のことを当たり前と思えないほどの情熱を 傾けて行うことを努力といいます。
そして、当たり前と思っていることに感動があります。
すべては今この瞬間のため。
あなたにはそれを実現する力があるからこそ、その夢を持つことができたんです。

父〜とうとい〜
父は母や子どものために一所懸命働いて、生活の糧を運んでくれ、女性たちに危害を与える賊が来ると追い払ってくれます。
「まあ、なんて尊いお方だ。やっぱり、夫も太陽のように尊い人だ」と言ったのです。
この「尊い」という言葉からお父さんのことを「とうと」というようになりました。

創〜ものがたり〜
創造力を育むためには「退屈な時間」が重要とされる、とあります。
創造とは、何もないところから新しいものを産みだすこと・作り上げること。
足したり(+)、引いたり(-)、 掛けたり(×)、割ったり(÷)・・・
たくさんの時間と引き換えに生まれた「一瞬の塊」。
「つくる」という中には、それぞれに物語が存在しています。

つち地(新)
『地』~せかい~
「地が出る」という言葉があります。
それは、ふとしたときに出る、本来の自分の姿です。
「地」には、本性や本質、生まれつきという意味があります。実はこれ、自由自在に変えられるんです。
なりたい自分に変化させることだって、卑下することだって、自由自在。
それは、自分の世界だからです。

慎〜いまをいきる〜
真心と書いて「慎」。
慎ましやかとは、単に控えめなだけでなく、けっして出しゃばらないけれど、軽はずみな言動をせず、 心は隅々まで欠けめなく行き届いている、という姿勢のことです。
慎ましく生きるというと、贅沢をせず、質素な生活をするという意味で使われますが、その本質には、 「今あるモノ」や「目の前のコト」、「目の前の人」を大切にしながら、心を込めて丁寧に生活をしていくという生き方です。
それが豊かに暮らすということなのかもしれません。

鼓〜あゆみのおと〜
時には強く、時には弱く。
時には早く、時にはゆっくり。
生まれた時から・・・
そして、これからも ずっと一緒。
あなたが生きている間、一日も休まず動き続けてくれます。
今日も「ドクンドクン…」と鼓動は歩みを重ねています。

維〜かこもみらいも〜
過去に流した涙を糧として、未来の明るさにつなげていくこと。これが今を生きるということです。
「維」とは、天と地は 4 本の綱で支えられていると考えられ、しっかり繋ぎとめるという意味を持っています。
国と国、地域と地域、人と人、心と心。
私たちは「維(綱)がり」の中で生きています。

恒〜いまここ〜
いつまでも変わることなく同じであること。
特別ではなく普通、いつも通りということ。
「幸せ」もそうですね!
幸せというのは、今、自分が置かれている日常そのものです。
何も起きないことがどれほど幸せであるか、ということに、私たちはなかなか気づくことができません。
毎日が、ただ淡々と平凡に過ぎていくことが、実は「幸せの本質」なのかもしれません。

瞑〜むじゅうりょく〜
「瞑」とは、目をつむるという意味 – 「静かに無に近づくこと」と言えます。
「想」とは、思い描くこと。
「想」が力を発揮するためには、その前の「瞑」が必要です。結果を左右するのは、願いの強さではなく「平常心」です。
この平常心を生み出すのが「瞑」だと言えます。
静かに無に近づいた状態のほうが、より高い結果を生むということです。

蕾〜しんらばんしょう〜
どうして人間は、争い合うの?
自分の思い通りにならないから?
大切なものを守りたいから?
傷つけ合って何を得たいの?
誰が得するの?
何が残るの?
平和という樹は、どんな種をまけば芽を出すのだろう?
人は誰もが将来を期待され、愛情を注がれて育っていきます。そう、私たち一人一人が希望の蕾(つぼみ)なのです。

紡〜どういきるか〜
言葉を紡ぐ。
自分の中にある一番美しい言葉を時間をかけて純化していき、大切な人に届けたい。
吐き捨てられた言葉ではなく、シルクのような手触りでほんのりと優しい気持ちにさせてくれる言葉を。
そんな言葉を持つには、これもまた時間をかけて経験に基づく生きた言葉を蓄積していくしかありません。
出会いという繭から、お互いの気持ちの優しさと美しさをくみとり、少しずつ太い絆に変えていくことが大切です。

艶〜きぼうをのせて〜
豊かは、「ほほえみ」。
いつもにこにこすべてを包み込むようなあたたかい笑顔。
色は、「こせい」。
あるがままを受け入れ、自分らしく在ること。
内面の艶は抑えようとしても、隠そうとしてもムダ。 過信!?
……いいえ。自信を胸に抱いてください。
その輝きは世の中を照らす光になります。

剣〜よわさしる〜
日本の伝統的文化では、必ず「道」がつきます。華道、茶道、柔道、
剣道と言うように。 文化はみな道を求めていきます。道とは人の道で あり、道は心です。「剣は道なり。道は心なり。心正しからざれば剣 また正しからず。剣を学ばん者は心を学べ。」剣道の心得です。 この心得は、剣道だけでなく、物事を究めていこうとする人間に とって共通した精神です。人の心によって、身に付けた力が善にも 働くし、悪にも働くことがあります。人間、弱くてもいいんです。 自分の弱さを素直に受け止める強さが大切なこと。物事を究める、鍛錬 するということは、弱さを知り、その心を養い深めるためのものです。

弦〜つなげる〜
楽器の両端に張る糸で、張り具合で音色が変わります。
人のつながりも弦のようなものです。
短いもの長いもの。
細いもの太いもの。
強いもの弱いもの。
どのような出会い(弦)を結ぶのか。
そして、どのように奏でるのか。
あなたのつながりたい未来は?
人生(オーケストラ)の指揮者(コンダクター)はあなたなんです。

鶴〜みらいにはばたけ〜
古来より「鶴は千年」といわれ「長寿を象徴する吉祥」の鳥として、 また夫婦仲が大変良く一生を連れ添うことから「夫婦鶴」といわれ「仲良きことの象徴」の鳥として、 鳴き声が共鳴して遠方まで届くことから「天に届く=天上界に通ずる鳥」といわれるなど、民衆の間に「めでたい鳥」として尊ばれてきました。

出会〜みらいへのとびら〜
今までただなんとなく生きてきたけど、自分の使命というか、自分の存在する意味が分かったようなときがあります。
それは、「すばらしい出会い」によって未来への扉を見つけた瞬間です。
自分のやりたいことが出会いによってはっきりと見えてくることがあります。
誰と出会うか…。

照〜かみわざ〜
「照」は、太陽や月が光り輝いて見えることや喜びの感情を表しています。
私たちは神様からどのような環境に置かれても、光り輝いて生きていく力を与えられています。
喜ぶために、楽しむためにこの世に生まれ、笑うことで命が煌めきます。
世界を明るく照らす笑顔・・・
神様の成す最高傑作です。

点〜えがお〜
ただの点も、集まれば線となり、文字となり、アートとなり、出会いとなり、夢となり、奇跡を生む。
点と点を結ぶもの・・・・・・・
それは、喜びであり、楽しさであり、幸せであり、 こぼれる笑顔です。

手〜いやす〜
「手」が持つ癒しの力、つまり「氣」で病気や怪我を治したという説から「手当て」という言葉が生まれました。
「手」には気が流れていて、左手は「気を受け止める」、右手は「気を放つ」。
さらに、左手は「潜在意識」、右手は「顕在意識」を表しています。
相手に元気をあげたい時は、自分の右手で相手の左手を握ってみてください。
「手」には不思議な力があり、成長・発展させる働きがあります。

東京〜なみだのきせき〜
歴史の積み重ねがあってこそ今があり、 今の積み重ねが未来をつくります。
今この瞬間の選択が歴史をつくり、未来を動かすのです。
流した涙の跡には、何が生まれるのでしょう?
“軌跡”の先につながる”奇跡”を信じよう。
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「東京五輪へ向けて」
奇跡は確実に存在する、そう思います。奇跡は一般的に考えられているほど不思議な出来事ではないように感じます。心の中で何を本気で信じるか。自分はどうなりたいか。人間の可能性は、本人が思っているレベルより、はるかに高いところにあります。意識の密度が現象の密度です。自分のなりたい姿を思い浮かべ、今やるべきことを実践していくだけです。

貴〜ゆめはでっかく〜
貴は、上品で美しいこと。
「山高きが故に貴からず」という言葉があります。
山はただ高いだけでは貴いとは言えず、そこに木が生い茂っているからこそ貴い。人も体が大きいだけで立派だとは言えず、知恵を持つからこそ貴い。
本当の価値は見かけだけで決まるものではないということです。内に秘めたる夢の大きさ、向上心の強さが知識を知恵と成長させてくれるものです。

尊〜けんきょにいきる〜
自分が見えること、感じること、考えることがすべてだと思い込むことを「独りよがり」と言います。
そして、謙虚とは、ありのままを見ようとすること。
自分の素晴らしさを認めることです。
すべてに感謝をして、謙虚に生きていくことが命を尊ぶということではないでしょうか。

扉〜つながるせかい〜
私たちは、朝起きて夜寝るまでの間に、どれだけの選択をしているのでしょうか。
「人」は選択し続けて「生」きています。
扉を開けては、また扉を開け。
そして、また開けて。
同じ扉は二度と目の前には現れない、選んで開け続けなければなりません。迷うときもあれば、決断できないときもある。
でも、 それは、「選択できない」という扉を選択しているときです。どの扉を選ぼうと、それが正しい選択なのです。
あなたの選択は、いったいどこへつながるのでしょう♬

跳〜みらいえがいて〜
もっと遠く。もっと高く。
そのためには助走が重要です。
何かを成し遂げるためには、その前にやってきたことが山のように積み重ねられてこそ。
歩んできた足跡は地に刻まれています。
これから歩む道は空へつながっています。
自分の未来に何を想い描いていますか?

飛〜むちゅうりょく〜
すでに知っていて、それならできるということ…
たくさんあると思いますが、それを「楽しめる」 というレベルに変えていきませんか。
同じことをやっていても、「ただなんとなく」ではなく「どんな気持ち」でやっているのか!?
考え方次第では、これから先どれだけ伸びるか、どれだけ可能性が広がってくるかも違ってくるものです。

飛〜えがくみらい〜
自分に何ができるかということより、何がしたいか。
どう生きるか。
やってやれないことはない。
やらずにできるわけがない。
自分のなりたい姿を思い浮かべ、
今やるべきことを実践していくだけ。

翔〜いのちかける〜
赤ちゃんの握りしめられた手の中には、はじめは何もありません。
親に抱かれ、見つめられ、話しかけられ、あやされて自分が愛されていることを知っていきます。
そうやって、何もなかった私たちの手の中には、いつしか様々なものが握りしめられています。
愛も、言葉も、知識も。
それは、夢になり、自信になり、また大きく手を広げて新しいものを掴もうと人生を翔けていきます。

友〜みらい〜
「友」とは、 手と手を重ねて助け合うという意味があります。
楽しい経験もツライ経験も生きていくためには必要な肥料です。
いちばんツライときに傍にいてくれる友ほど 有り難いものはありません。
まさに「真友」・「心友」。
過去に流した涙を糧にして、未来の明るさにつなげていくことが大切だと思います。

努力〜むがむちゅう〜
ガンバって耐えることが努力なのでしょうか。
好きなことはついつい心を奪われて、
我を忘れてしまいます。
まるで夢の中にいる感覚。
夢中で情熱を傾け、
新しい何かを生み出すために力を注ぐ、
それが努力なのではないでしょうか。

苗〜ちから〜
「苗」という字は、小さな緑色の草が萌え出て来て、田と組み合わせになっています。
田の中から成長してくる幼い苗が正に生え始めている様子。
苗も人間と同じように、それぞれの「間」が重要です。
肥沃な土壌で窮屈にならないように大切に育てることで力強く成長していくものなのです。

仲間〜たいむましん〜
後ろを見てごらん。
楽しい時だけじゃないってわかるから。
共に悩み、共に迷い、共に泣き、共に励まし合い、 共に笑い、共に喜び、共に支え合い、共に立ち上がり、 共に生きていく。それが仲間。
今も昔も、これからも・・・
後ろを見てごらん・・・
仲間の姿が見えるはず。

朋〜かようこころ〜
「朋」は、大きな鳥の翼を表し、「鳳」の象形と言われています。
「鳳」は、大きく広げた翼を表す「凡」に「鳥」。 「朋」に「鳥」を合わせると「鵬」。
「鳳」と「鵬」は、同じく「おおとり」を表しています。
そして、
「凡」に「虫(龍の形を表したもの)」で「風」となります。
これら「鳳」「鵬」「風」は、空を司る神の使いです。
「朋」という文字からは、「周りに対する影響力が大きく、それは自分のためではなく、他人のために行動をする」 ということが伺えます。

渚〜うんめい〜
川や海や湖などの波の打ち寄せる波打ち際を渚といいます。
楽しみ、苦しみ、喜び、悲しみ、怒り。すべての感情が打ち寄せる人のつながる場所も渚のようなもの。
運命とは、「運ぶ命」と書くように、経験して加えていく道のりです。自分の力で運び、動かすことが可能です。
どんな人と出会い、どんな経験をして、どのような学校へいき、 どのような仕事をして、どんな人と結婚するのか。それも運命。
自分しだいだからです。
たくさんの人が集まり、みんなが笑顔になれる…
そんな憩いの場所、思い出に残る「渚」でありたいです。

渚〜つながる〜
「和」とは、許し合い、思いやり、つながり合うことに最高の価値が置かれるいやしの文化。
「福」とは、七福神のようにてんでバラバラな人達が集まって、でも、楽しげにしている状態。
「渚」とは、海と陸(砂浜・岩場・川)が交わる場所で
恵み豊かな環境。立場や年齢、性別が異なる人同士が集まり、お互いを思いやり、理解し合い、つながり合うことができる環境。
それこそが「こころのなぎさ」であり、人生を恵み溢れる豊かなものにしてくれます。

凪〜よろこび〜
海風から陸風、陸風から海風へ切り替わるときの風がおさまって波の穏やかな状態を凪といい、このときの海面は鏡のようです。
世間の風が優しいそよ風でも、冷たい逆風でも、背中を押す追い風でも、風が止む瞬間があります。
その時こそ、冷静な思考力が味方になります。
心の凪は喜びの風を巻き起こします。

情〜ゆめつなぐ〜
「情」とは、「物に感じて動く心の働き」や「人に対する思いやりの気持ち」、「まごころや誠意」のこと。
人は生まれてから様々な人、動物、物、出来事と遭遇し、それらに何かを感じ、心が動かされます。
やがて、「こだわり」が生まれて夢や目標を持つことに・・・その「こだわり」は、プラスにもマイナスにも向かってしまうものですが、こだわりがなければ、「持続」という歩みも消えてしまいます。
こだわりは、極めることで人の心を動かし、夢の実現へと導いてくれるものなのかもしれません。

無〜もったいない〜
「もったいないから、食べてしまおう」というのは、余っているものを、なくすことです。
エコの「もったいない」は、本来の価値をなくさないようにすること。
「無」には、惜しむ。美徳を感じる。価値を見出す。など、三者三様のとらえ方があります。
あなたは「無」に何を感じますか。

夏〜いのちかがやく〜
草も樹も青々とした葉を茂らせ、彩り豊かな花々が咲き誇る夏。自然と生き物がもっとも豊かで色濃く煌めく季節です。
「な」は、「成る」「伸ばす」など、成長を表すことだまで、目標を達成し、物事を完成させる働きを持ちます。
「つ」は、「つなぐ」「伝える」「集う」を表すことだまで、「人やものが集まってくるところ」という意味の「津」や、「人やものが集まってできたところ」という意味の「都」が由来です。
「なつ」は、一つ一つの出会いを大切にして明るい未来を想像するということです。

波〜しんぽ〜
「な」は、「成る」、「伸ばす」の働きがあり成長を表します。
「み」は、身や心を清めて人を輝かせる働きを持っています。
「なみ」は、心も体も成長させ、輝きを与えてくれるもの。
打ち寄せては返す波のように日々の繰り返しが魂を磨き進化させてくれます。

成〜やるき〜
「為せば成る為さねば成らぬ何事も」
行動をする(為す)ことで、出来る(成る)という意味。
一見無理そうなことでも、その気になってやり通す ことで案外できてしまうものです。
どうせするなら、しない後悔より、した後悔。

菜〜いしょくどうげん〜
菜は、自然が持つ色合いや彩り、文様などを意味します。
そして、「菜」には、食することで体のバランスを整えるという「医食同源」に通じるもの、心と体を健康にするものという考え方が含まれています。
「菜食健美」といった感じでしょうか。

虹〜ゆめいろ〜
人は悩むほどに自分らしくなります。
悲しみは魂にとってのクスリ。
夢を持った瞬間、どんなにつらかった経験も必要な過去になります。
雨(涙)上がりの虹はきっと夢へとつながる架橋なのでしょう。

願〜かんしゃがみかた〜
人がすべてのものを味方につける方法。
それはあらゆる存在に喜びを感じ、幸せを感じ、感謝をすることだと思います。
普段から感謝をしてない人が困ったときにだけ「神様、仏様~」と願をかけても味方になってはくれません。
あなたが常日頃から感謝をしていると、相手は必ず味方になってくれるものです。
感謝は神様を味方につけてくれます。

念〜いまのこころ〜
今の心とは何か?
今、目の前のこと、人、物を大事にすること。
今、目の前の人を大事にし、今、目の前のことを大事にすることが、「念」を入れて生きるということ。
それが人生で今できる唯一のことです。

希〜うみだす〜
「希」とは、糸と糸を織り成して美しい模様に 布を織り上げるということです。
ひとつひとつの出会いを大切にするコト(糸)。
そして、どんなことにも感謝できる心(糸)。
この糸と糸が織り成す先に、想い描いた光景が織り上がります。
一本の細い糸は光へつながる希望の糸。

望〜えがおさく〜
「あきらめる」って、投げ出すイメージですか?
あきらめる・・・「明らかに眺める」。
一度ゼロに戻って考えなおすこと。
あきらめることから、始まるものもありますよね。
希望、失望・・・生きているからこそ味わえるコト。
生きているだけでも奇跡ってことを忘れちゃいませんか?

蓮〜ひかるげんせき〜
泥水が濃ければ濃いほど、蓮は大輪の花を咲かせます。
きれいな水ではそうはいかず、泥水である必要があるそうです。泥の中には栄養が豊富にあるのかもしれません。
泥水とは人生に置き換えると、悲しいことや辛いこと、大変なこと。思い悩むことの中には気づきや発見、学びという人生を豊かにしてくれる栄養が豊富に存在します。
今、泥にまみれているのは、しっかり栄養を吸収する時期だということです。

畑〜いきいき〜
心のなかの畑、耕してますか?
まず、 (学び)肥やしを置いて耕し、時間をおきます。
それによって、 (気づき)土と土が繋がり合い、塊ができて、 (吸収)水はけが良く、 水持ちの良い栄養たっぷりな畑ができます。
このように「心の畑」を耕すことによって、人の役に立てる力と幅を強く大きく広げることが出来ます。
心イキイキ、体イキイキ、人生イキイキ。

華〜せんさいさ〜
相手を観察する目配り、
相手の気持ちを読む気配り、
相手を喜ばせる心配り。
表面からは知りにくい微妙な心の動きを感じ取れる繊細さ。
繊細さはいつも心に華やかさを与えてくれる才能です。

羽〜はしる〜
自分の信じる道をただひたすら走る。
途中、不安や諦めが・・・・・・。
でも、すべてはうまくいっています。
すべってもうまくいっているんです。
ピンチもチャンスも紙一重、後ろ向きに捉えるか、前向きに捉えるか。
ただでさえ勢いをもつ者に、さらに勢いが加わることを「虎に翼」といいます。
「信じるという」勢いに、さらに「楽しむ」という勢いが加わったとき・・・
まるで羽が生えたかのような軽快なステップになります。

颯〜ゆめほまれ〜
「立」は、大地にしっかり両足をつけていることから、強い土台。
「風」は、神の息吹。気・波動を発して人の心を動かすものという意味があります。 前にしっかり立ち続ける姿と爽やかな風のような優しさは、相手に影響を与え、心を動かす力となります。
「大地(立つ)の力」と「空(風)の力)」 つまり、柔剛併せ持つことで、 夢や栄光(誉れ)をつかめるのかもしれません。

原〜はじまり〜
どこへ向かっているのか、そして、ここはどこなのか。
時に迷い、時に立ち止まり、時に不安にもなります。そんな時は、一度原点に戻って初心にかえることが大事。
誰もが最初に思い立った純真な気持ちは、新鮮で謙虚なものだったはずです。

晴〜おめでとう〜
晴れの日は、太陽が出ている日。
ハレの日は、いつもと違う自分に出会う日。
晴れの舞台は、脚光を浴びること。
晴れがましいは、きらきらと輝いていること。
いろいろ考えてみましたが、「晴」は、おめでとう、という言葉しか浮かびません。
みんなを包み込む、温かなお祝いの言葉です。
愛が足りて、愛(め)で足し、めでたし。

葉〜はばたき〜
「は」とは、羽ばたく・広がる・ふくらむという働きがあり、人に希望を与えることだま。
春の晴れた日の空に羽ばたいていく鳥のように、私たちも未来に希望を膨らませてぐんぐんと伸びていきます。

秀〜まもる〜
「秀」は穀物が実ってその穂先が垂れている様子。
「乃」は耳たぶを表し、柔らかにぷっくらと膨らんでいる様子。つまり、元気によく育った極上の穀物を意味しています。
今の日本は美味しいものが簡単に手に入る時代ですが、同時に生活習慣病に悩む人も増加しています。穀物は日本人の原点です。
日本の食文化を見直し、健康な体作りを考える時なのではないでしょうか。

陽〜こぼれるえがお〜
光に満ちた明るい澄んだ「陽の気」が上昇して天となり、重く濁った暗黒の「陰の気」が下降して地となりました。
闇と光、水と火、夜と昼、柔と剛。これらはどちらか一方のみが存在することはできず、二気が調和して初めて自然の秩序が保たれるのです。
陽があれば陰があるように、楽があれば苦があります。 悲しみは魂の栄養となり、明るく、あたたかく、豊かで元気な笑顔をつくります。笑顔は、太陽そのもの。

響〜こころにしみることば〜
生まれたら、死ぬ。
死は、誰にでも平等にやってくることです。
人が死んだあとに残るものは、なんでしょうね。
それは、与えたものだと思います。
「響」は、人に届いたあなたの思いです。
どれだけ、人の心を響かせているのでしょう。

拓〜きたい〜
前進するためにただ石(意志)を取り除いて進むというより、石(意志)を積み上げて昇っていくことで道が拓かれるのではないでしょうか!その先には、不安ではなく期待という広い景色が拓かれています。

閃〜しんじる〜
「天才とは 1%の閃きと 99%の努力である」
エジソンの名言です。実は、この名言、エジソンの真意とは真逆だったのです。
エジソンが、本当に伝えたかったのは
「1%の“閃き”がなければ、99%の努力とエネルギーは無駄になる」
ということだったのです。
あらゆる情報が入り乱れる現在では、心の奥に眠っている「閃き」という感覚に中々気づくことができません。
常識を疑い、思い込みを外すことができれば、心の奥の声が聞こえてくるのではないでしょうか。
あとは、閃きを信じて動き出すだけです。

福〜ふつうのこと〜
夢や目標を抱くことは大切なこと。想いが強すぎると「重い」になってしまい身動きがとれなくなります。
普段通りの暮らしがおくれることは「運がいい」こと。それに気がつくと「幸福」になります。
何か特別なことではなく、何も起きないことがどれほど幸せであるか。毎日がただ淡々と過ぎていくことが、「幸せの本質」かもしれません。

節〜みらいへつなげ〜
竹には、60個ほどの節があって、地面に近い側の節から伸びていき、ある程度伸びると成長が止まり、更に上の節が伸びて成長を止め…と、下から順番に伸びていきます。
節目があることで折れにくく、しなやかな構造になっていて、光を求めて伸びていきます。
私たちの生活の中にも、節が存在します。人生の節目ごとに成長をして、強風による横からの力が当たってもその力に耐えられるようになっていきます。
竹のように、節目を大切にした生き方が人生や生活を豊かにしていくのだと思います。

史〜みらい〜
「史」は、出来事の記録。
歴史の積み重ねがあってこその今。そして、今の積み重ねが未来を造ります。今この瞬間の選択が歴史を造り、未来を動かします。
歴史の上に未来あり、未来の下に歴史あり。

冬〜つなぐ〜
「ふ」は、「吹く」。
方向性を指示する働きを持ち、吹く=福に通じ、方向性を指示することで、福を生み出していくことだま。
「ゆ」は、「湯」。
温泉を表し、人に癒しを与えて元気にしたり、生命力を回復させる働きを持つことだま。
「ふゆ」は、芽を出すための準備期間です。
ゆっくりと心身を癒し、方向性を確認することができる貴重な時間ということです。
春はもうすぐ!しっかり準備を整えましょう。

平和〜おもてなし〜
おもてなしとは、相手に喜んでもらうために尽くす心。日本人には気配を読む習慣があります。相手の気持ちをくみ取り、何も言われずとも手を動かし始めることこそがおもてなしの道。心に穏やかさと平和を与えてくれる誇るべき文化です。

鳳凰〜よにまんようのはながさく〜
神聖な鳥を意味する鳳凰。
「おおとり」の雄を鳳、雌を凰といい、平和な世にのみ姿を現すとされる。吉兆をもたらす神鳥で、翼は五色絢爛で、陰と陽を一体化させた存在とされます。
翼を広げれば観るものに「徳」を放ち、ゆるやかな背は「麗しさ」を伝え、高鳴る胸は「義を篤くあれ」と諭し、すらりとした腹は「深き仁」と共にあり、凛とした気品を漂わす尾は「信を抱け」と言われています。
鳳凰は神を送る役目をしていたとされ、「人生を良い方向に運ぶ」という意味もあるそうです。

誇〜つたわるこころ〜
あの人はどう思うだろう?
この人は何て言うだろう?
未来の自分の姿は鮮明に見えていますか?
不安は確信に・・・
確信は自信に・・・
そして、自信は誇りへと成長します。
途中、思い上がると「驕り」になって視界がぼやけてしまいます。
「誇り」は、ぶれのない鮮明な未来を写し出します。

本気〜まよいなし〜
本気とは、「本当の気持ち」。
「がんばって全力で行こう!」
そう決めて無理に自分を奮い立たせても、中々前に進みません。
無理やり100%の力を出すことが本気ではなく、本当の気持ちに立ち戻ることが本気なのです。
気持ちがウソをついていたら力を出すことなんて無理。
だから、100%の力を出せるときは、本当の気持ちでやっている自分なんです。
「なんか、力を発揮できてないなぁ・・・」っていうときは、一旦立ち止まって耳を澄ませてみてください。
本当の気持ちをきくチャンスです。

舞〜えがおがそこに〜
自然とくらべたら人ってちっちゃいものですね。
このでっかい地球を舞台に楽しい人生を送ることがあなたの使命。
どんなときでも、どんなことでも、楽しみながら…。
笑顔があるところには自然と人が集まってきます。

忠〜いきがい〜
「忠」は、心の真ん中と書きます。
氣を込めれば心となり、自分の氣が生まれ、集まるところです。
心は生きる力の根源。
その真ん中にある「忠」は、生きる拠り所、生き甲斐ということ。
相手の良いところも悪いところも許し受け入れ、相手を思いやる心です。
人を愛すること―それが「忠」のはじまりです。

真〜きせき〜
奇跡は確実に存在する、そう思います。
奇跡は一般的に考えられているほど不思議な出来事ではないように感じます。
心の中で何を本気で信じるか。
人間の可能性は、本人が思っているレベルより、はるかに高いところにあります。
意識の密度が現象の密度。
真実だと感じるもの・・・
それは、「奇跡の始まり」です。

誠〜ぶれないみらい〜
「誠」とは、「言ったことを成す」と書く。
つまり、そこに二言はなく「真実」を表します。
守るべきを守ることを名誉。
嘘・偽りは弱さとして批判され、不名誉なこと。
「誠実」とは、真心をもってすべてを丁寧に扱っていくことです。

将〜おかげ〜
「一将功成りて万骨枯る」という言葉があります。
一人の将軍の功績は、蔭で働く者たちの努力と支えがあったからという意味。
蔭があるから光ることができる。
明と暗、剛と柔、火と水、光と闇。
相反しつつも、一方がなければもう一方も存在し得ません。
お互いが調和して初めて自然の秩序が保たれます。
古代の人は太陽のことを御蔭様とも言いました。
自分のまわりをよーく見てみて。蔭から光を当ててくれている人がきっといるはずです。

祭〜うけつぐこころ〜
原初の祭は、豊穣への感謝や祈りが込められたものと言われています。
祀りは神・尊(ミコト)に祈ることを意味します。
祭りは命・魂・霊・御霊(ミタマ)を慰めるものという意味。
むかしは、「けがれ」を川や海に流して追い払う禊の行事であったり、不景気風を吹き飛ばし、人々を元気づけようと行われ始めたお祭りもあるようです。
先祖の祈りや願う心を大切に受け止め、そして、古くからの伝統を後世に伝えていくことが今の私たちに必要なことだと思います。

学〜みつける〜
自ら疑問を見つけ、考え、答えを見つける。
ものの見方を学んで、自分なりの考えを持つことは、道を拓く手がかりになります。
常識を疑いチャンスを見つけること。
学ぶことの唯一の証は変わることです。

円〜じゆう〜
「円満」は、「えん」が満ち足りている。
それは、「縁」や「宴」が豊かであるということです。
「縁」は、大切にすれば太い糸にもなり、ほっとけば切れてしまうような「出会い」のこと。
「宴」は、「家の中で安らかにくつろぐ」という意味で「たのしむ」とも読みます。
円(〇)のように、繋がり合って 穏やかで楽しみに満ちていることを「円満」といい、豊かで自由な心が芽生える瞬間です。

水〜いのち〜
赤ちゃんは水でできているといってもいいほど、体も心もみずみずしい存在です。
「水」は、私たちの体を洗い流して清めてくれたり、悪いものを出して澄みきった状態にしてくれます。
人が生きるために必要なエネルギーであり、 命そのものです。

導〜きりのむこう〜
導くとは、氣の流れに乗り遅れないように天から伝達が行われていることです。
現実には、あらゆる情報が入り乱れ、自分の居場所や進む方向に霧が立ち込め、視界が……。
しかし、遠回りしたからこそ、霧の中には無い、学びや気づき、奥が深い世界があることを感じ取ることができるんです。霧はやがて消えます。
じっと待つことも導きだと思います。

道〜めぐみのながれ〜
ひらがなの、「あ」~「ん」には
それぞれが「ことだま」という意味を持っています。
《み》は、水を表していて、流れるという意味を持っています。
《ち》は、血、乳、地を表していて、 人が生きるために必要な恵みを表しています。
みちは『恵みが流れ、行き来するところ』 という意味を持っていることになります。
不安や悩み、困難・・・
これは学んでいるときです。
人生は楽しんでいるか、学んでいるか、このどちらか。
楽しんで進む道と学んで歩む道。
人生とはめぐみのみち。

源〜うちゅう〜
人間が生命を宿した時点から何もなかった所に心が生まれ、大人になるにつれ、心は成長していきます。
人生においての最高の楽しみは自らの成長だと思います。
人生を彩るのは自分自身。
私たちは大いに変わり得る存在であり、人間の可能性は無限大です。
そして、自分の心がすべての源となります。

実〜ねのふかさ〜
植物は芽を出す環境を選ぶことができません。
風まかせ。
でも、長い年月をかけて、生き伸びるための変化を遂げていきます。
より高く、より多くの実(夢)を結ぶには、丈夫な幹(信念)が必要です。
その幹がしっかり空を見上げていられるのは、地中深くに広がる根っこ(努力)のおかげ。
「実」は生きる力です。

耳〜みる〜
人間の耳はとても素晴らしい機能を持っています。
左耳で聞いたものは、絵画などを司る右脳へ。
右耳で聞いたものは、言葉などを司る左脳へ届きます。
電話などで仕事や勉強の話をする時は右耳で音を聞いた方が冷静に処理しやすいということです。
睡眠時、物音に目を覚ますことができるのも耳のおかげ。
耳は、聞きたくないことも聞こえてしまいますが、いのちの見張り番のようなもの。
耳に入ってきた美しいものを正しく選んで、それをまた聞かせてあげられるような日常を送りたいですね。

雅〜いきかた〜
人生うまくいこうがいかまいが、両方を同じように楽しめるのではないでしょうか。
成るか成らぬかという結果はさておき、言った事、やった事の動機が誠であれば、そこには「美」があり、「雅」があります。
嬉しい事もツライ事も楽しめる心が「雅」です。
さあ!みなさん・・・
この世のすべてを楽しみましょう。

睦〜みらいをかえる〜
日本は和を文化の中心に据えた国です。
和の心とは、許し合い、つながり合い、思いやることに最高の価値が置かれる文化のこと。
争いをやめて平和に仲良くすることを「和睦(わぼく)」といいます。
「睦」は、相手を理解し心の結びつきを表す言葉であり、人を和ませ、世の中を癒す力を秘めています。

恵〜きどあいらく〜
「いただきます」は、尊い命をいただくということ。
「ごちそうさま」は、「ご馳走」、おいしい食材などを文字通り走りまわって用意、集めてくださったかたへの感謝をこめて「ご馳走様、ありがとう」
でも、一番の感謝は、自然。
そして、それを育てる日差しや雨。
太陽の恵みに感謝、自然の恵みに感謝。
「木土愛楽」
木と土を愛し楽しむことは私たちに恵みをもたらします。

恵〜さんきゅう〜
「いたただきます。」は、尊い命をいただくということ。
「ごちそうさま。」は、「ご馳走」、おいしい食材などを文字通り走りまわって用意、集めてくださったかたへの「感謝」をこめて「ご馳走様、ありがとう。」
でも、一番の感謝は、「自然」。
そして、それを育てる日差しや雨。
太陽の恵みに感謝、自然の恵みに感謝。

優〜こころにはなを〜
植物は厳しい冬を乗り越えて春に見事な花を咲かせます。
私たちは、人間関係に悩み、 葛藤するなかから本当の優しさが生まれます。
成長とは、どこか違う場所に移動することではなく、同じ場所で違うものが見えはじめることです。
今自分がいる場所を信じてみては・・・。
心に咲く花は優しさを運んできてくれます。

弥〜つくるみらい〜
弥生とは、「弥生(いやおい)」が変化したもの。
「弥(いや)」は「いよいよ、ますます」。
「生(おい)」は「生い茂る」、草木が芽吹くこと。
大変なときは、大きく変われるチャンス!
心が変われば、行動が変わる。
行動が変われば、未来が変わります。
弥とは、変化を成長の糧にすることなのかもしれません。

豊〜ほほえみ〜
どんなことも笑顔で受け止めながら、自分の置かれた環境を楽しんで生きていくことで、人間性も感性も豊かになっていきます。
周りの人を豊かにしていくことは、自分が豊かに生きることでもあるのです。
笑顔の種蒔きは、豊かな未来を育みます。

夢〜どこでもどあ〜
みなさん、将来の夢はありますか?
こういう大人になりたい。
ああいう仕事をしてみたい。
こんなところで暮らしてみたい。
今はむりでも、未来はそうなっているかも!
知ってますか?
みなさんには、たくさんの可能性があることを…
この世界には、たくさんの希望があることを…
自分に自信をもっていいんです。
そして、この世界を信じて扉をあけてみてください。

夢〜やるきすいっち〜
あなたのやる気スイッチはどこにありますか?
なにがきっかけでスイッチが入りますか?
空を見ているとき?
音楽を聴いているとき?
誰かに褒められたとき?
好きな人の笑顔を見たとき?
スイッチはちょっとしたことでONになるんです。
「ん?なにそれ!」という好奇心とか、
「あと、もうちょっと!」という向上心を大切にしてください。
やる気スイッチが ONになったとき・・・
あなたの夢のトビラがひらきます。

佳〜えがお〜
「佳宴(かえん)」は、華やかな宴会。
「佳作(かさく)」は、良くできた作品。
「佳日(かじつ)」は、天候のいい晴れた日。
「佳句(かく)」は、良くできた俳句。
「佳兆(かちょう)」は、良い前ぶれ。
「佳人(かじん)」は、内面外面とも優れた人柄。
「佳」とは、美しくて好ましいことです。
”佳”のあるところに”笑顔”あり。

義〜ありのままに〜
羊(美)に我と書いて「義」。
我が美、つまり、己にとって美しく生きることです。
損得のない自らの志から生ずる正しい行いであり、心が命ずる進むべき道。
みなさん、背伸びをしすぎていませんか?
そのままがちょうどいいんです。
飾ることなくありのまま自分で!

由〜じぶん〜
「自由」という言葉を聞いて、どんな印象を持ちますか?
「好き勝手」「束縛・拘束を受けない」
こんなイメージでしょうか。
自由とは、「自らを由とする」
つまり、自らを手段とすること。
もっと言うと、
「自らの価値観を元に行動すること」
「自らの拠り所を自身に置くこと」
自分の意志で選んだ道を自分の足で歩んでいく。
もし、そこに道がなければ、自分の力で切り拓く。
自らの決断で自分らしく生きていくことを「自由」とよぶのかもしれません。

蘭〜みなぎるいのち〜
幸福が飛んでくる・繁栄・安定・優雅・ 上品・愛と美・清純という花言葉を持つ蘭。
美しい咲き姿から「花の女王」と呼ばれています。
漢字の「艹」は、草のように根強い力を表し、「闌」は、たけなわ(酣)とも読み、いちばん盛んな時・最盛期を表します。
生命力に溢れ、凜とした気品を漂わせる蘭の姿から、まわりを巻き込んで一緒に向上していく根強さを感じます。

私〜みらい〜
この世は「修行の場」だとよく耳にしますが本当なのでしょうか?
もしかしたら「喜びの場」や「感謝の場」なのかもしれませんよね。
どう捉えるかは、あなたの自由です。
自由とは「自らに由(よ)る」と書きます。
あなたの捉え方、考え方が、あなたの人生を決めていきます。

航〜うみかぜ〜
人生は航海のよう。あるときは背中を押し、あるときは行く手を阻む。風は人の声。波は人とのつながり、空は未来です。風や波、空の中を堂々と進んでいくことを「航-wataru-」といいます。

夢〜どこでもどあ〜
みなさん、将来の夢はありますか?
こういう大人になりたい。
ああいう仕事をしてみたい。
こんなところで暮らしてみたい。
今はむりでも、未来はそうなっているかも!
知ってますか?
みなさんには、たくさんの可能性があることを・・・
この世界には、たくさんの希望があることを・・・
自分に自信をもっていいんです。
そして、この世界を信じて扉をあけてみてください。

雅〜いきかた〜
人生うまくいこうがいかまいが、両方を同じように楽しめるのではないでしょうか。
成るか成らぬかという結果はさておき、言った事、やった事の動機が誠であれば、そこには「美」があり、「雅」があります。
嬉しい事もツライ事も楽しめる心が「雅」です。
さあ!みなさん・・・
この世のすべてを楽しみましょう。

明〜つき たいよう〜
太陽(日)と「つき」が入れかわり、 やがて、月と「たいよう」が入れかわる。そうやっていつものように新しい朝がやってきます。明るい日と書いて明日。何か嫌なことがあっても必ず夜は明け、 明るい朝がやってきます。苦しみや悲しみという闇もやがて陽が 差し込み心の中を明るく照らしてくれます。きっと心の夜明けがくるでしょう。

友〜みらい〜
「友」とは、 手と手を重ねて助け合うという意味があります。楽しい経験もツライ経験も 生きていくためには必要な肥料です。 いちばんツライときに傍にいてくれる友ほど 有り難いものはありません。まさに「真友」・「心友」。過去に流した涙を糧にして、未来の明るさにつなげていくことが大切だと思います。

風〜ゆめにむかって〜
目標や夢を成し遂げる過程には 向かい風や追い風があらわれるが、どちらも自分を成長させるには必要なもの。いちばん大切なことは、夢を抱いた「きっかけ」という風。その風をしっかり背中の帆で受け止め、 前に進む勇気を持つこと。

風〜ゆめにむかって〜
目標や夢を成し遂げる過程には 向かい風や追い風があらわれるが、どちらも自分を成長させるには必要なもの。いちばん大切なことは、夢を抱いた「きっかけ」という風。その風をしっかり背中の帆で受け止め、 前に進む勇気を持つこと。

福〜ふつうのこと〜
夢や目標を抱くことは大切なこと。想いが強すぎると「重い」になってしまい身動きがとれなくなります。普段通りの暮らしがおくれることは「運がいい」こと。それに気がつくと「幸福」になります。何か特別なことではなく、何も起きないことがどれほど幸せであるか。毎日がただ淡々と過ぎていくことが、「幸せの本質」かもしれません。

織〜かがやくみらい〜
「織る」とは、 機(はた)で縦糸と横糸を 組み合わせて布地を作ること。布を人生とするならば、横糸は時間、縦糸は出会い。一旗一旗糸を重ねて美しい布を織り上げるように、物事を丁寧に扱い、出会い・繋がりを時間をかけて大切に紡いで築いて行く。そうやって織り上げた人生は、どんな模様に仕上がるのでしょうか。

心〜じんせい〜
ふだんからどこに意識を集中させているかが大事なことで、日常的に考えていることが自分の人生をつくっていくもの。心が人生を表していて、心に何が入っているかで人生は変わってくるものだと思います。性格とは、心の習慣。

道〜めぐみのながれ〜
ひらがなの、「あ」~「ん」には それぞれが「ことだま」という意味を持っています。
《み》は、水を表していて、流れるという意味を持っています。
《ち》は、血、乳、地を表していて、人が生きるために必要な恵みを表しています。
みちは『恵みが流れ、行き来するところ』という意味を持っていることになります。
不安や悩み、困難・・・
これは学んでいるときです。
人生は楽しんでいるか、学んでいるか、このどちらか。楽しんで進む道と学んで歩む道。人生とはめぐみのみち。

飛〜むちゅうりょく〜
すでに知っていて、それならできるということ・・・
たくさんあると思いますが、それを「楽しめる」というレベルに変えていきませんか。
同じことをやっていても、「ただなんとなく」ではなく「どんな気持ち」でやっているのか!?
考え方次第では、これから先どれだけ伸びるか、どれだけ可能性が広がってくるかも違ってくるものです。
作品サイズ:B4

美〜すなお〜
「美」とは、人の心の中で生まれたり、消えたりし、心の余裕によって生じるものです。そして「素直」とは、強い精神力をもち、自分の考えに自信をもっていること。内から放つ素直さは、心に余裕を与え、凛々しく映し出してくれるものなのです。

楽〜こうどうりょく〜
感動は人を変え、笑いは人を潤し、夢は人を豊かにしてくれます。相手が何を望んでいるか!そう考えて行動することで、人生が楽しくなるんです。与える喜びを見つけると、自分が豊かになります

楽〜しぜんたい〜
自然体というのは、「気」持ちを「楽」にすること。 つまり、力を抜いてリラックスをしている状態です。 気楽といっても自分勝手とかわがまま、 何もしないということではありません。 自然――樹木や花だってその時期が来たら 葉っぱも茂るし花も咲かせます。 自然のなかにも期限というものが存在していて、 その中で自分らしく楽しく生きていくことが、 自然体ということなのでしょう。

氣〜たましい〜
この「氣」という漢字の由来は、 下の「米」は人間を意味します。 人が光を八方に放っている姿。 そして、その上は、 宇宙や空、天から、光のエネルギーが 降り注いでいる様を意味します。 「氣」とは、宇宙から降り注ぐ光のエネルギーの中で、 その恩恵を受けながら光を放つ人間(魂)、そのもの。

織〜かがやくみらい〜
「織る」とは、 機(はた)で縦糸と横糸を 組み合わせて布地を作ること。
布を人生とするならば、横糸は時間、縦糸は出会い。
一旗一旗糸を重ねて美しい布を織り上げるように、物事を丁寧に扱い、出会い・繋がりを時間をかけて大切に紡いで築いて行く。
そうやって織り上げた人生は、どんな模様に仕上がるのでしょうか。

美〜すなお〜
「美」とは、人の心の中で生まれたり、消えたりし、心の余裕によって生じるものです。
そして「素直」とは、強い精神力をもち、自分の考えに自信をもっていること。
内から放つ素直さは、心に余裕を与え、凛々しく映し出してくれるものなのです。

風〜ゆめにむかって〜
目標や夢を成し遂げる過程には 向かい風や追い風があらわれるが、どちらも自分を成長させるには必要なもの。いちばん大切なことは、夢を抱いた「きっかけ」という風。 その風をしっかり背中の帆で受け止め、前に進む勇気を持つこと。

道〜めぐみのながれ〜
ひらがなの、「あ」~「ん」には それぞれが「ことだま」という意味を持っています。
《み》は、水を表していて、流れるという意味を持っています。
《ち》は、血、乳、地を表していて、 人が生きるために必要な恵みを表しています。
みちは『恵みが流れ、行き来するところ』 という意味を持っていることになります。
不安や悩み、困難・・・これは学んでいるときです。 人生は楽しんでいるか、学んでいるか、このどちらか。 楽しんで進む道と学んで歩む道。人生とはめぐみのみち。

虹〜ゆめいろ〜
人は悩むほどに自分らしくなります。悲しみは魂にとってのクスリ。夢を持った瞬間、 どんなにつらかった経験も必要な過去になります。雨( 涙) 上がりの虹はきっと夢へとつながる 架橋なのでしょう。

海〜きらくにいこう〜
広くて深い海はいつも同じ場所で待っていてくれる。
あの時、強く背中を押してくれた海は、今はそっと寄り添い肩を組んで優しさを与えてくれる。
自分を信じて、強い気持ちで進んでいけば、たいていのことはなんとかなるもの。
でも、時には力を抜くことで心の幅も広くなるし、奥行も深くなる。
”肩の力を抜いて気楽に行けばいいんじゃない”
久しぶりに来た海がそう語りかけているようだった。

飛〜むちゅうりょく〜
すでに知っていて、それならできるということ・・・
たくさんあると思いますが、それを「楽しめる」というレベルに変えていきませんか。
同じことをやっていても、「ただなんとなく」ではなく「どんな気持ち」でやっているのか!?
考え方次第では、これから先どれだけ伸びるか、どれだけ可能性が広がってくるかも違ってくるものです。
作品サイズ:B4

夏〜いのちかがやく〜
草も樹も青々とした葉を茂らせ、彩り豊かな花々が咲き誇る夏。 自然と生き物がもっとも豊かで色濃く煌めく季節です。
「な」は、「成る」「伸ばす」など、成長を表すことだまで、 目標を達成し、物事を完成させる働きを持ちます。
「つ」は、「つなぐ」「伝える」「集う」を表すことだまで、「人やものが集まってくるところ」という意味の「津」や、「人やものが集まってできたところ」という意味の「都」が由来です。
「なつ」は、一つ一つの出会いを大切にして明るい未来を想像するということです。

秋〜ありがたし〜
豊穣の秋といえば、「実るほど頭を垂れる稲穂かな」という言葉を思い出します。
稲が実を熟すほど穂が垂れ下がるように、人間も学問や徳が深まるにつれ謙虚になるということ。
つまり、当たり前と思える事にでも感謝の気持ちを表せることです。
そして、「あ」は、新しい展開、希望といった意味を持つことだまで、人に何かを始めるきっかけを与える働きがあります。
「き」は、「木」「気」という意味を持ち、人の見本や癒しを与える働きがあります。
「あき」は、これまでの成果に感謝を捧げ、未来へつながる「夢の種」を手に入れることです。

冬〜つなぐ〜
「ふ」は、「吹く」。 方向性を指示する働きを持ち、吹く=福に通じ、 方向性を指示することで、福を生み出していくことだま。
「ゆ」は、「湯」。 温泉を表し、人に癒しを与えて元気にしたり、 生命力を回復させる働きを持つことだま。
「ふゆ」は、芽を出すための準備期間です。 ゆっくりと心身を癒し、 方向性を確認することができる貴重な時間ということです。 春はもうすぐ! しっかり準備を整えましょう。

桜〜かけはし〜
少しづつだけど確かに歩んで来た道。苦しいときも、楽しいときも、いつも笑顔の花がそこにあった。たくさんの支えのおかげで辿り着いた今。この道の先にどんな試練が待ち構えているのかは分からない。 でも、大丈夫。心に咲いた花は決して枯れることはないから。

森〜まもりがみ〜
人間の力が及ばない自然の強さ―― 神の力によって木が自然に生え、盛り上がるのが森。 山そのものがご神体といった考えもあり、 奥深い中に神を宿し、守護するという発想から 「守り」「護り」に通じるということもあるのでしょう。

飛〜えがくみらい〜
自分に何ができるかということより、何がしたいか。 どう生きるか。 やってやれないことはない。 やらずにできるわけがない。自分のなりたい姿を思い浮かべ、今やるべきことを実践していくだけ。

福〜ふつうのこと〜
夢や目標を抱くことは大切なこと。
想いが強すぎると「重い」になってしまい身動きがとれなくなります。
普段通りの暮らしがおくれることは「運がいい」こと。
それに気がつくと「幸福」になります。
何か特別なことではなく、何も起きないことがどれほど幸せであるか。
毎日がただ淡々と過ぎていくことが、「幸せの本質」かもしれません。

楽〜こうどうりょく〜
感動は人を変え、笑いは人を潤し、夢は人を豊かにしてくれます。 相手が何を望んでいるか!そう考えて行動することで、人生が楽しくなるんです。与える喜びを見つけると、自分が豊かになります